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水本シズオと申します。「ゲームブック」の話題が中心のブログです。

『サドル泥棒事務所』(しーなねこ)その2

 今回の記事は前回の続きになります。

★未知から既知へ
 本作に登場する重要キャラクターに、「黒い服を着た女の人」がいます。この「女の人」はときには黒猫に姿を変え、不可解な状況に置かれ混乱し、弱っていく猫彦を陰ながら支えます。しかし猫彦はその存在をなんとなく意識しながらも、なかなかその好意や有り難みに気付くことなく、「白いサドル」や「白いプードル」に拘泥し続けます。ただ、いかに「白いサドル」に人々の強い思念がつまっていようとも、いかに「白いプードル」に有名サッカー選手の名前が付けられていようとも、それらは「実際の人間」ではなく、猫彦の置かれた不可解な状況を解決してくれるものではありません。やがて猫彦は、本当に大切なものは何かに気付き始めるのです。
 私は本作に登場したこの「黒い服を着た女の人(黒猫)」を、家族、恋人、友人、親しい職場の同僚といった、当たり前のように存在している「既知の人々」、言いかえれば「普段からよく知っている人たち」のメタファーと捉えました。

 以下、本作のラストの場面を見ていきます。

 目覚めると、プードルが、どこにもいなくなっていた。
 (略)
 しばらくすると女の人が来た。先日と同じ、黒い服で、髪を後ろで束ねていた。
 (略)
「サドル、お返しします。ありがとうございました」
 紙袋に入れたサドルを手渡した。
「こちらこそ、ありがとうございました。ふふふ」
 女の人が笑うと、僕も自然に笑うことができた。
「また会えますか?」
 と聞いたら、
「五度目、ですね」
 といたずらっぽく言った。

 この場面、猫彦にとって「白いプードル」や「白いサドル」はすでに無用のものとなっています。そして、「また会えますか?」という猫彦の発言は、本作において一貫して様々な思いをひとりで抱え込んでいた猫彦が、積極的に「社会(人間の共同生活の総称としての)」に関わろうとした初めての瞬間でもあります。

 女の人と外に出た。階段を上ったところの芝生の上に、水色のパジャマを着た、おかっぱの女の子がいた。
「まぁ」
 と、女の人がうれしそうな声を出した。
「こんにちは!」
 と女の子の声が聞こえ、
「こんにちは」
 僕は挨拶をした。
「おかえりなさい」
 女の子とも、女の人ともつかない声がした。

 ここで冒頭の女の子の登場です(前回記事参照)。もう猫彦はうろたえることはありません。そして最後には、女の子(未知の存在)と女の人(既知の存在)が猫彦のなかでひとつになり、次なるステージへ昇華されていくのです。
 非常に美しいラストでした。