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水本シズオと申します。「ゲームブック」の話題が中心のブログです。

『レス・フロムファー』(ヤスオモリ)その1

 文学フリマ書評第6回目は、前回の文学フリマで購入したヤスオモリさんの短編集『レス・フロムファー』。「こういう本に出会えるのが文学フリマの魅力だな」と、改めて感じさせてくれた一冊でした。
 本書には、小説ともエッセイとも詩ともつかない文章が二十数編おさめられています。とりあえず作品紹介はこれで終わりです(笑)

★自意識と美意識の狭間で
「文章を書く」という行為には、自身の能力の欠如や無知、コンプレックスなどといった「恥」をさらけだす危険性がはらんでいます。そのため人によっては、それを読者に悟られまいとするため、あるいは自身の「恥」を正当化するため、いろいろ取りつくろってかっこつけようとします(自分がそうです……)。
『レス・フロムファー』を読み、ヤスオモリさんはそのような「自分の言葉が恥をさらけだす危険性」を、過剰なほどに意識した書き手さんだと感じました。そしてそれと同時に、「その恥を隠そうとしたり、正当化しようとしたりする行為」に対しても、嫌悪感を抱いているように思えました。
 そんな作者ですから、文章を書き、それを公に発表するという行為にいたるには、かなりの逡巡があったものと思われます。しかし結局自意識の放出を抑えきれなくなったヤスオモリさんは、「恥をかく」という危険性を十分自覚しながらも、執筆しそれを公開するという「自慰行為」に挑むことにしたのです。

「真夜中になると、自意識の高まりと共に彼の指はキーボードの上をカサコソと動きだすのだった。始めから結びが見えているでもなく、ただあてもなし、キャレットを徘徊させるように放しておく。すると文の脈はツルのように画面上を伸びて、じきに妄想の枝葉が分岐して繋がり、ありもしないことを記し始める。(略)足りぬ頭での推敲なども加速を邪魔にする摩擦に過ぎず、彼の良しとするテキストとは、半ばフリースタイルラップのように、大気中へ放ってしまった声の回収不可能性による緊張感や覚悟や一回性、そういったものを求めていた。自慰の自覚はあるが、それに対する言い訳はなかった。むしろ彼は、自慰の純粋さを追求しようとしていた。自慰のパフォーマンス化によって、閉塞の打開を試みたのである」
(本書「はじめに」より)

 上記の「はじめに」にほのめかされているように、本書の作品の多くは勢いと直感を重視し、作為をできるだけ排除しようと意識して書かれたものとなっています。

 次回に続きますっ。