ゲームブック 温故屋

水本シズオと申します。「ゲームブック」の話題が中心のブログです。

物語としてのゲームブック

 子供の頃好きだった一冊に、1986年に翻訳出版された『ドラゴンの目』というゲームブックがあります。翻訳者は当時まだ20代半ばだった大森望さん。
 その大森さんが、『ドラゴンの目』の「訳者あとがき」で、ゲームブックについて次のように述べています。

 ここでは物語は、順番に読み進んで行けば自然とゴールにたどりつく固定されたものではない。読み手の前で千変万化する物語。だが物語は、本来そうしたものではなかったか。
 物「語」とは、読んで字のとおり、語られるべきはずのものだ。活字によって紙の上に印刷された「小説」と呼ばれる代物は、本当の物語の、二次的な代替物にすぎない、とSF作家R・A・ラファティはあるエッセイで書いている。たとえば氷河期の洞窟で、狩りからもどったネアンデルタール人たちが、夕食のあと眠りにつくまでのほんのひととき耳を傾けた物語は、語られるたびに、聞き手の反応によって微妙に変化したに違いない。あるいは母親が子供に聞かせる、人生で最初の物語のことを考えてみればいい。気のきいた母親なら、その物語を子供を主人公にして語るだろうし、もっと気のきいた母親なら、「ぼくならそんなことはしないのにな」という子供の言葉にこたえて、物語を変化させてゆくだろう。語り手と語られ手のあいだのダイナミックな関係から生みだされてゆく不定形のなにか――それこそが物語であるはずだ。だから、パラグラフ選択形式という手法によって、固定された物語のコースにある程度まで幅を持たせ、読者に自ら物語をつくってゆく道を与えたゲームブックは、ある意味で、もっとも物語的な物語である。

 この文章を引用して、私が何を言いたいのかというと、つまりこういうことです。
 ゲームブック、おもしろいよ!